極小航空写真機はそのコンパクト性をもって従来の偵察機のみでなく、戦闘機などにもパイロットが携行し写真偵察以外の任務の時でも使えることを目的として開発された。6x6ブローニー版のため3倍に引き伸ばすのを原則としていたが、肝心の「拡大焼付器」が完備されていなかったため、当初の目的を充分に発揮できなかったと言う話が「日本の光学工業史」に残っている。ちなみに当時の他の航空写真機はほとんどキャビネサイズ以上の大判で、引伸しはせずにそのまま密着で焼き付けていた。
史料に「本航空写真機ハ極メテ小型軽量ニシテ機上操作容易ナリ而シテ使用ニ方イテハ之ヲ拡大焼付器ニテ三倍ニ引伸シ利用スルヲ本則トス」
と書かれており6x6には引伸しが必須であったことを裏付けている。 6x6フイルムのコマ数は現在と同じ12コマ。フイルム巻き上げはスプリングモーターつまりゼンマイ仕掛けで、カメラ底部に折り畳んだつまみがあり、これを起こしてよいしょよいしょと回してねじを巻く。実機のフイルムカウンターを見ると11までしか標示がないので、一枚余裕を見ているのかと思っていたが、史料によると12枚まで確実に撮れることがわかった。いまでも通用するブローニー判フイルムのマガジン交換式である。
左の写真は上四枚は日本カメラ博物館所蔵のもので東京光学製、昭和17年7月、製造番号307となっている。
一番下の写真は筆者所有の同モデル後期型で小西六製、製造番号は1759。塗装は上のちりめん塗装ではなくな平塗りになっている。銘板は金属ではなくベークライト製。レンズは焦点距離が調節できるようになっている。
一番下の写真は筆者所有の同モデル後期型で小西六製、製造番号は1759。塗装は上のちりめん塗装ではなくな平塗りになっている。銘板は金属ではなくベークライト製。レンズは焦点距離が調節できるようになっている。