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航空写真機


陸軍 99式極小航空写真機

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九九式極小航空写真機後期型
極小航空写真機は航空写真機としては比較的新しい。「極小」という名称は何かおかしい感じがするが、それ以前に「小航空写真機」という名称がすでに存在したため敢えて「極小」とした。実際には重量は2.5kgあり、極小とはほど遠い。 昭和10年から始まった試作試験には東京光学(現トプコン)、日本光学工業(ニコン)、小西六(コニカ株)が参画し、昭和15年に陸軍の99式極小航空写真機として制定された。このころの光学兵器の開発スピードはおそろしくのろく、計画から実戦装備まで5年かかるのはあたりまえだった。東京光学社史によれば昭和16年に187台、17年には313台を陸軍に納入し、同社の主力製品のひとつになってる。各社を合計すると終戦までに3000台以上は軍に納入されたと見てよいだろう。

極小航空写真機はそのコンパクト性をもって従来の偵察機のみでなく、戦闘機などにもパイロットが携行し写真偵察以外の任務の時でも使えることを目的として開発された。6x6ブローニー版のため3倍に引き伸ばすのを原則としていたが、肝心の「拡大焼付器」が完備されていなかったため、当初の目的を充分に発揮できなかったと言う話が「日本の光学工業史」に残っている。ちなみに当時の他の航空写真機はほとんどキャビネサイズ以上の大判で、引伸しはせずにそのまま密着で焼き付けていた。

史料に「本航空写真機ハ極メテ小型軽量ニシテ機上操作容易ナリ而シテ使用ニ方イテハ之ヲ拡大焼付器ニテ三倍ニ引伸シ利用スルヲ本則トス」

と書かれており6x6には引伸しが必須であったことを裏付けている。 6x6フイルムのコマ数は現在と同じ12コマ。フイルム巻き上げはスプリングモーターつまりゼンマイ仕掛けで、カメラ底部に折り畳んだつまみがあり、これを起こしてよいしょよいしょと回してねじを巻く。実機のフイルムカウンターを見ると11までしか標示がないので、一枚余裕を見ているのかと思っていたが、史料によると12枚まで確実に撮れることがわかった。いまでも通用するブローニー判フイルムのマガジン交換式である。

左の写真は上四枚は日本カメラ博物館所蔵のもので東京光学製、昭和17年7月、製造番号307となっている。
一番下の写真は筆者所有の同モデル後期型で小西六製、製造番号は1759。塗装は上のちりめん塗装ではなくな平塗りになっている。銘板は金属ではなくベークライト製。レンズは焦点距離が調節できるようになっている。

レンズは東京光学製のヘキサ75mmF3.5、シャッターは「中心式露出機」、所謂レンズシャッター方式。基本は無限遠撮影のため焦点距離は固定でフォーカスを合わせる必要はない。(後期型では焦点距離が調節できるようになった) 75mmというレンズは35mmカメラ換算で50mmくらいの標準レンズと考えてよいだろう。フォーカルプーレンシャッターは動いている被写体に対してはひずみを生じるため、航空写真では一般にレンズシャッターが良いとされている。

99式極小航空写真機は比較的小型で作りやすいのため大量に生産された。今でも外観写真など各カメラメーカーの史料やその他の文献でよく見かけることがあり、日本国内にもまだ多数残存しているのではないだろうか。ただし外観、塗装などは年代、製作所によってだいぶ異なることがわかっている。戦争が長引くにつれて工業用の原材料が不足してきたため、初期に製造されたものに比較して材料面での品質の低下はまぬがれなかったが、焦点距離の調節機構等、改良されてきた点も見ることができる。

以下、99式極小航空写真機仕様

レンズ 焦点距離75mm、F3.5、過焦点距離16m(16mよりも遠距離ではすべてピントが合うということ)
シャッター レンズシャッター方式、シャッタースピード1/100,1/250,1/500
ファインダー 透視式
感光面サイズ 6x6cm
倉の種類 ブローニーフイルム
作動装置 手動
重量 2.3kg
付属品 フイルム倉3、フイルター3(黄色1、橙色1、赤外1)、レリーズケーブル3


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