当時まだ航空写真機の開発、製造技術が確立されていなかった日本は、このネディンスコ社からあらためてFKIを正式なルートで輸入しており、FKI は二十五糎航空写真機という名称で陸軍に採用されたのであった。1918年ころの話だ。日本軍最初の写真機らしい手持ち写真機で、航空写真機のルーツ的存在となっている。ボディは木製であり、大きくて扱いが難しく、日本で採用された当時すでに旧式の感はまぬがれなかったが、純国産機が登場するまでネディンスコ型と呼ばれ主力機として使われていた。ここに最近インターネットのオークションで落札した一冊の書物がある。タイトルは「写真学教程(戦術偵察学生用)」と言う。当時日本陸軍には三つの飛行学校があり、戦闘機は三重県の明野飛行学校、爆撃機は静岡県浜松、そして偵察機は千葉県下志津陸軍飛行学校と決まっていた。手元にあるこの教科書の表紙には、表題の下に昭和3年(1928年)11月、下志津陸軍飛行学校と記されている。昭和初期と言えば、日本の政治はファシズムへ傾斜、山東出兵を皮切りにいよいよ中国進出が本格化していた時代。一方、世界軍縮会議では日本が不利な条件に追い詰められたことによって、日本は更に軍国主義に流れていった。この教科書の表紙をあけると、実は第1版が大正11年(1922年)とあるからさらに時代は遡る。同年の12月、横浜鶴見の浅野造船所で日本最初の航空母艦「鳳翔」(9,510トン)が完成していた。年が明けるとイギリスのパイロット、ウィリアム・ジョルダン氏が一〇式艦上戦闘機を操縦して「鳳翔」に対し離着艦試験を行った。そんな時期にこの教科書は編纂されたのである。
この教科書の装丁は至って素朴で、紙質は藁半紙よりはちょっと上等な程度。印刷所、発行所、製本書の記述はどこにもなく、学校で手作りしたようなテキストである。文字に活字が使われておらず、手書き文字である。内容は以下の構成である。
第一篇 航空写真の沿革
第二編 航空写真機
第三篇 感光資料
第四篇 航空写真撮影法
第五編 航空写真の調整
第六編 航空写真の標定註記及格納
第七編 写真班の編成業務及其能力
本文40ページ。




二十五糎の主な仕様は
この頃の光学史に関する資料は非常に少ないため製造年、製造数などの正確な数字が得られないのが残念である。このネディンスコ型航空写真機はその後小西六(現在のコニカミノルタ)でその設計構造が研究調査され国産化された。その後陸軍では航空写真機の開発が旺盛になり、第二次大戦前からアルミ合金製の九六式小航空写真機がネディンスコ型に取って代わり、さらに発展したレンズ交換型の百式小型航空写真機に移ってゆく。一方海軍では航空写真機技術について陸軍ほど体系化されていなかったようで、現存する史料も少ない。海軍にはフェアチャイルド社製カメラを基本に開発したF−8手持ち航空写真機があったが、陸軍と同じネディンスコ型(国産)もまた永らく使用されていたことが当時の写真からわかる。
やがて月日は流れ、戦後、平和な時代を象徴するかのように生まれ変わったネディンスコ社製の普及型35mmフイルムカメラが発売された。その名はプリモという。小さいそのボディデザインには25糎航空写真機を髣髴(ほうふつ)とさせるものがあった。