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大和ミュージアムの零戦62型


 
 JR呉線快速で広島駅から26分。軍港を望む呉駅の前にこの4月「大和ミュージアム」がオープンした。戦艦大和は呉の秘密ドックで建造されたのであった。終戦から60年。折りしも12月には映画「男たちの大和」が公開され、その映画のロケセットが尾道で一般に公開されており、世はちょっとした戦艦大和ブーム。そのためか、この博物館のオープンしたゴールデンウィークはかなり混雑したらしい。

ここの目玉は戦艦大和の1/10スケールモデル。1/10でも全長26.3mだから迫力がある。その他人間魚雷「回天」、特殊潜航艇「海龍」、零戦62型など実物が展示されている。私の今回の訪問目的はこの零戦である。

この零戦、1978年(昭和53年)に琵琶湖から引き揚げられたもので、その後嵐山美術館によって修復、展示されていたが、さらにその後1991年閉館と共に和歌山県白浜町の「ゼロパーク」に移管されほとんど雨ざらしの状態で展示されていた。しかしそこも2002年に閉館となり、ここ「大和ミュージアム」に引き取られたと言う。壊れた箇所を修復して装いも新たに展示されている。以前は63型と言う名称で展示公開されていたがここでは62型と改訂されている。いずれにしても零戦としては末期状態で、特攻などがさかんになってきたころの機体である。展示の機体は愛知県明治基地、第210海軍航空隊の所属で、1945年(昭和20年)8月6日夕刻、吾妻常夫中尉の操縦で飛行中にエンジントラブルを起こし琵琶湖に不時着したと言うもの。説明ボードによれば中島飛行機で製造された機体で製造番号は82729となっている。

この型の大きな特徴は胴体中央下部に250キロ爆弾を搭載可能にしたところ。爆撃機不足のため、爆撃任務にも耐えられるように改良されたのだが、まさに特攻向けでもあった。また主翼下には30キロ爆弾各2個(又は60キロ各1)を装着可能。爆弾以外の火器は主翼に13mm機銃x2と20mmx2(外側が13mm)、機首右側に13mmx1とかなりの重装備である。翼面荷重も増大してとても軽戦闘機の態ではなかった。軽戦としての零戦の強みは失われていたと思われる。

この零戦62型が製造された頃、もはや日本に勝利の望みはなく、機体の日の丸にも白の縁取りはない。白兵戦に賭けた日本軍の覚悟が伝わってくる。「最後の零戦」と言ってもいいだろう。
【日時】2005年9月11日
【場所】大和ミュージアム、正式名称は「呉市海事歴史科学館」、観覧料は一般500円、高校生300円、小中学生200円。
【撮影機材】ニコンCOOLPIX 8400
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