例によって手配が遅かったから、主なエアラインのフライトは全て売り切れだった。電話の向こう側で旅行代理店のオペレーターがコンピュターに条件を色々と変えて打ち込むが、フライト名が出てこない。チョークス・インターナショナル(Chalk's International Air Lines)の飛行艇が、フロリダのフォート・ローダーデールからバハマの首都ナッソーまで飛んでいるのを旅行代理店は知らなかった。チョークスというエアラインさえ知らなかったのである。チョークスの予約はなんとか取れた。次はニューヨークからフォート・ローダーデールまでのフライトがなかなか見つからない。これは代理店がさんざん探して、ロングアイランド・マッカーサー空港発のカーニバル航空の往復券をやっと押さえた。この便は午後8時35分発でフォート・ローダーデールには11時50分着と言うから、ホテルにチェックインするのは午前1時近くになるが、これしかないのだから仕方がない。しかし、これで少なくともチョークスの飛行艇に乗れることは確実になった。
アメリカで飛行艇をいまだに定期便に運用している唯一の航空会社である。1919年創業と言うから歴史は古い。同航空会社の拠点であるフォート・ローダーデール空港はマイアミ空港から約32キロメートル北に位置し、マイアミ空港よりもマイナーな航空会社が多く乗り入れ、プロップ機も見られるから航空ファンには人気の空港でもある。 チョークス・インターナショナルは赤字続きで、いままで何度か閉鎖すると言われてきたが、周囲からの応援もあって現在なお生き残っている。実際、1989年に同航空会社のオーナーであったリゾート・インターナショナル社はチョークス閉鎖宣言をしたが、その通りにはならなかった。南の島のシンボルであり、しかも最後の飛行艇会社を守るため、バハマ政府が会社を閉鎖しないように何度も説得に動いたらしい。1990年、チョークスはドル箱路線であったマイアミ〜パラダイス・アイランド(ナッソー)路線をついにパラダイス・アイランド航空に売却した。(パラダイス・アイランド航空もリゾート・インターナショナル傘下の会社である。)チョークスに残された路線はマイアミ〜ビミニ島路線のみになり、グラマン・ターボ・マラード4機を保有するも、毎日3往復をたった1機だけで運用する寂しさとなった。ビミニ島はマイアミとナッソーの中間にある人口1400人の小さな島で宿も少ない。ただし17人乗りのターボ・マラードにはちょうどいい規模だった。チョークス社は1990年12月に会社売却宣言を行った。買ったのは個人企業のユナイデット・キャピタル社。再びルートが広がって、ビミニ経由のパラダイス・アイランド行きを毎日1便飛ばしているが、いまでも会社再建の作業は続いている。
1993年の暮れのマイアミはどういうわけか例年に無く寒かった。フォート・ローダーデール空港に着いたときも、ジャンパーを脱げないほどの気温だった。深夜に着いたため、フォート・ローダーデールで2泊して12月27日の朝にチョークスでナッソーのパラダイス・アイランドに向かった。チョークスのターミナルはメイン・ターミナルでなくて、空港東側の「ジェット・センター」と称するプライベート機、チャーター専用のターミナルであった。しかしホテルでタクシーにチョークスと告げたら、ただちに理解して連れていってくれたから、やはり地元では知られているようだ。朝8時発のマイアミ経由ビミニ島行きはフォート・ローダーデールにてすでに満席で、マイアミには寄らずにビミニ島に直行することになった。その関係で出発は30分遅れた。ターミナルビル内にチョークスのチェックイン・カウンターらしきものはない、時間になるとランプへ出るドアーの脇に女性が現われてキップを切った。空港独特の出発搭乗のアナウンスもない。出発時間が遅れたが、係の女性がロビーに腰掛けている搭乗客ひとりひとりに理由を説明して歩いていた。その感じの良い若い女性は、朝早くから起こされてぐずっているもうすぐ5才になる我が娘の前に現われて、チョークスの素敵なステッカーをプレゼントした。それは飛行艇の絵とチョークスのロゴの入ったものだった。これをお父さんが見逃すわけはない。「僕にも頂戴。」と言う英語は恥ずかしくて出なかった。「もう一人子供がいるもので、喧嘩にならないようにもう一枚いただきたいのですが。」なんて言う器用な英語がとっさにできたら苦労はない。万が一でたとしても「もう一人のお子さんは家に残して来たのですか。」とか会話が長くなってしまい、理由に手こずるに決まっている。実はひとり娘なのだから。果たして、娘とお父さんの取引が開始される。娘は別のステッカーを二枚購入する事を条件にチョークスのステッカーを手放すこととなった。
ターボ・マラードの新塗装はパラダイス・アイランド航空と同じ、白いボディーにパステルカラーの黄色と濃淡のアクアのラインが入っている。南国らしい明るいデザインだが、地元の航空ファンには青いラインのシンプルな旧塗装が懐かしいらしい。
ルート中、地上離着陸はこの空港だけで、他はすべて海上を利用している。なおフォート・ローダーデールはチョークスの本社の所在地であるともにメインテナンス基地になっており、契約に基づきリゾート・インターナショナル社が引き続き修理改修作業を担当している。
今回のフライトは9時にビミニ島に到着した後、さらに飛行機を乗り換えてパラダイス・アイランドに飛ぶと言う願ってもないルートであった。乗り継ぎの飛行機はマイアミからビミニ島に10時半に到着して10時50分に出発するからビミニ島では時間がとれる。ビミニ島の様子も多少見られるだろうと思った。
エンジンをフルスロットルに入れるとこの手の飛行機はみんなそうだが機体が強く振動する。エンジン音は室内にも響き、大声でないと会話が困難である。子連れの悲しいところで搭乗にもたついたからいい席が取れなかった。座席は指定席ではない。前から二列目の三座席をやっと確保した。女房と娘は左の席に、私は通路を挾んで右側に座ったが、この席は非常口を真ん中にして第一列目と向かい合っており、非常口の小さな窓を二人で共有しなければならないはめになった。しかも向かい合った相手も手にカメラを持っていて外の景色を撮ろうと言う意識が伺われ、双方気にしながら窓にカメラを向けなければならなかった。コクピットの計器類が私の座席からから見えた。高度計の針は1000、2000とゆっくりと回り、2500フィートのところでストップした。
ところで南の島に飛ぶ飛行機の座席は絶対に窓側がお勧めである。珊瑚礁のリーフを覆う海の色と白いデューンは空からでなくてはその美しさはわからない。海の底も格別だろうが、絵の具を流したしように微妙に色の変化がある空からの眺めもまた神秘的である。とくに南の島のビーチに出かけて、たいして奇麗な海じゃないなぁと思ったら潜るより飛行機に乗ると初めてその美しさがわかるであろう。何年か前にキー・ウエストに出かけたとき、遊覧飛行で複葉機ウェイコ(WACO)に乗った時に実感した。それから同じくキー・ウエストからフォート・ジェファソンと言う孤島の要塞に、フロート付きセスナで飛んだ時もまた格別だった。低空飛行では鮫や海亀が泳いでいるのが肉眼ではっきりと確認できる。それだけ水が澄んでいて、リーフのため浅く太陽の光が海底で反射している。まして定期便ならば遊覧飛行も兼ねて窓側を押さえるべし。遊覧飛行料金は定期便に比べ割高であるから、定期便で窓側を取るか取らないかはこの場合価値にかなり差がでる。
ビミニ島が窓から確認出来ないままマラードは静かに着水した。珊瑚礁の海はいたって穏やかである。天気は南国にしてはいまいちであった。太陽がたまに顔をみせるが風はやや冷たい。車輪が水中に下ろされ、タイヤが海を泳ぐ。これはかなり水の抵抗を受けるのではないかと思った。やがてまたエンジンの唸りとともに機首を上げ、斜めになるとランプにつながる斜面を登りはじめた。飛行機に乗ったまま海から陸へ上がるのはなんとも奇妙である。水陸両用機がアンフィビアン(両生類)と呼ばれる所以であろう。ランプは町の小さな駐車場ほどの広さで、脇にちゃんと入国手続きの小屋があった。ここで一応パスポートはチェックする。バハマ諸島は英国連邦の独立国である。チョークスの小さな待合所は、南国カラーとも言うべきうすいピンクの建物で、中にデスクとベンチがあった。ここで降りて待合い室に入ったのは我々三人だけであった。飛行機は満席だったが他の人はすべてここで泊るらしい。もっとも本土からパラダイス・アイランドに向かうのにわざわざこのルートをとる人はよっぽど物好きである。片道$140でしかも待ち時間あわせて3時間半かかるのだ。他のエアラインの直行便なら往復で$120前後、飛行時間50分が相場であろう。でもこれがいいいのだ。ビミニは閑散としたところで、水上飛行機ランプの周辺には食事をするところも宿泊施設も見当たらなかった。ただ朽ち果て閉鎖したホテルがターミナルの反対側にひとつあった。我々の乗ってきたマラードがマイアミに向かって去ったあとは、入国手続き小屋のドアの鍵がかけられ、誰もいなくなった。二匹の犬がランプを散歩していて、地元の女性がターミナルの周辺をほうきで掃除していた。
PART II につづく







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